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建築と音楽
音楽に嫉妬している。

音楽と建築は古来よりその存在理由が同じように変化してきた。
宗教的な象徴、儀式のツール、権力の象徴として(これはあまり音楽には関係ないか?)、
富の象徴、金持ちの娯楽、・・・。

音楽は20世紀初頭にブルースやジャズが生まれ、
そして同じく20世紀半ばにロックンロールが誕生し、
いまや大衆の娯楽の最たるものとしてこの世に存在する。

しかし建築はどうか。

人は皆、家がなければ暮らしてゆけない。
誰もが自分が帰る家を持っている。
にもかかわらず、建築は大衆のモノとは言いがたい。

どこか仰々しさ、難解さを感じずにはいられない。
建築家が語る言葉はいつも難解だ。
いちいち難しい。

音楽はいつでもどこでも一緒にいられる。
自分で口ずさんだっていい。

建築はそうはいかない。なぜなのか?
車が建築に取って代わったと言えるかも知れないが、それでは不十分だ。
納得できない。

FINAL HOMEで津村耕佑氏が唱えるコンセプトも非常に興味深い。
しかしそれは、人間を守るための「究極の家/FINAL HOME」=衣服であり、
ここで考察しているものとは目的が異なる。

建築は大きなものだし、お金もかかる。
そんなお手軽な文化であるわけがないと言われるかもしれない。

しかし、かつては高価な管楽器や弦楽器を揃えたオーケストラで奏でられていた音楽も、
今はiPod1台あれば手軽に楽しめるように、
建築ももっともっと大衆的で、手軽な文化となり得るのではないだろうか?

建築をいつでもどこでも「奏でる」ことはできないが
「再生」することはできるのではないだろうか?

建築を持ち運ぶとは、家を移動させることではない。
お気に入りの空間にいつでも身を置けるということ。
それこそが建築を持ち運ぶということではないか。

これはおそらく、自分の一生のテーマになると思うが、
いつか何かしらのカタチにしたい。
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